2008年03月07日

大学入学前のひと時を充実

舞鶴に帰省したり、四国に渡ったり、伊東線に行ったりしました。
とはいえ当時は一人で夜行列車に乗る勇気はまだなかったですね。
日帰りで行ける範囲の路線は相当乗ってしまっていたのですが、大阪から18きっぷ日帰りで行ける路線で残っているところが少なくなってきて、伊東線もそんな中で日帰りしてきたのです。
18きっぷでJR東日本のエリアに日帰りしたのは3回あるのですが、その1回目でした。
当時は移動中の車窓を眺めるという習慣はそれほどなく、ただ色々な車両に乗ることを楽しんでいるようでした。
移動する車両の雰囲気を味わえれば、その中で自分が自由に活動できる時間があればそれだけで満足だったのですね。
ですから、移動中というと昼間であっても本を読んだりしていることが多かったと思います。

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2008年02月29日

そして大学合格し、播但線50系と余部鉄橋の旅

浪人生活から1年が経て、晴れて大学合格。
「これで旅行できるぞ!」と、青春18きっぷを1冊購入。
今までは車両を見るのが目的で東海道・山陽本線で東奔西走していましたので、播但線の50系客車がなくなるとあって大阪→姫路→和田山→城崎(現・城崎温泉)→鳥取→津山→姫路→大阪という6の字乗車をしました。
播但線ではあんなにたくさんあった50系客車がこの春の改正でDCに置き換えになるという話。
他にも余部鉄橋を体験できるというのも見所。
とはいえ「50系がなくなるから乗りに行こう」と思ったわけではなく、ずっと暖めていたプランの一つだったのですけどね。

山陰本線でもしょっちゅう見ていた50系が消えてしまうというのは、ただビックリするばかり。
最近登場した客車なのに…という思いはありました。

客車って気動車と比べて格段に静かなので好きなのですよ。
姫路から和田山までの客車をとても楽しんでおりました。

和田山から先の山陰本線も始めて。余部鉄橋を渡って鳥取まで行って来ました。
やっぱりあの鉄橋は感動ものです。
その後は姫新線と因美線の乗りつぶし。
姫新線の車内では、同じルートで神戸から来ていた人と話していましたっけ。
旅先で人と知り合って長い時間お話しするのは初めてだったかもしれません。
結構楽しかったです。

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2008年02月22日

時刻表への投稿(2)

JTB時刻表「グッたいむ」については、自分のネタ以外に他の人の投稿を読むのも楽しみにしました。
今のようにインターネットも発達していない時代だったこともあって、ここは貴重な情報源にもなりますし、他の投稿者(グッたいみすと)がどのような旅行をしているのか、鉄道の何がが好きなのかとか知るいいコーナーですし…。

特に常連さんにもなると、本人に会わなくても読んでいるうちに、何人かのグッたいみすとについては性格がある程度想像してしまうのですよね。
「グッたいみすとに会いたいな〜」と思ったのもこの頃からですね。

各ネタには居住地(市町村単位)とペンネームが掲載されるのですが、私の住んでいる吹田市にもう一人常連さん「森かげの花」さんという方がいたのです。
そんなこともあってか「森かげの花さんってどんな人なんだろう〜」と思ったものです。
ネタの内容から「南千里付近に住んでいて、結婚指輪よりもオレカが欲しい」という人だ、というところまでは想像したりしておりました。

今みたいにネットも発達しておりませんし、浪人生活の身。当然会うこともなく月日は経っていきました。
ちなみに森かげの花さんと実際に会ったのは、これから5年後のことでした。

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2008年02月15日

時刻表への投稿(1)

予備校生活で欲求不満がたまっている中、親に内緒でJTB時刻表「グッたいむ」への投稿を始めたのです。
投稿をしていたことを親に話したのは、大学に合格してからでした。

時刻表に初めて採用されたとき、非常に嬉しかったです。
自分のネタが時刻表を通じて全国に知れ渡ったわけですから。
当時はネットもない時代ですので、「遠方の人に自分のことを示す」といったら大げさかもしれませんが、とにかく嬉しかったのです。
とはいえ一度採用されただけでは覚えてもらえないと思い、その後も常連を目指して数々のネタを送っておりました。

しかし、そんな中でも悩み事はあったのです。
それは、浪人中とあって旅行出来ない。
そのためとにかくネタが少なくて苦労したものです。
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2008年02月08日

早く大学に行きたかった予備校時代

多くの友達が大学に進学する中、1年間、予備校生活を送っておりました。
鉄道好きの仲間の一人とは同じ予備校に通っていましたので、よく鉄道話をして息抜きしておりました。

とはいえ、浪人中というと、何かと欲求不満になるもの。
旅行に行きたくても勉強が大事。
そんな訳でさすがに毎日予備校と家の往復でした。
けど、旅行に行けないのは仕方ないとしても、鉄道趣味を休むなんて事は到底出来ません。
鉄道雑誌や時刻表は読んでおりました。

また、模試で大阪電気通信大学などから帰ってくる際には、京阪でも列車を選んだりしたものです
京橋から淀屋橋まで特急に乗ったり…。
そんなわけで欲求不満がたまっておりました。
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2008年02月01日

卒業はしたものの…転機となった四国旅行

高校は卒業したものの、大学合格は果たせず1年の浪人生活に。
そんな中、4月にまたしても四国に行ってまいりました。

このときも乗りつぶしをしょうと、吉備線に乗ってから児島へ出て、下津井へ。
下津井電鉄は廃線になってしまったので、結局はバスで下津井に出て船で四国へ渡りました。
さすが、雄大な瀬戸大橋。そんな中、フェリーとあって室内は広くて(鉄道に比べると)豪華。
列車の車窓からはあまり見られなかった何か大きなものを初めて見たような感じで、非常に感動的でした。

また、6月に廃止になる同和鉱業片上線にも乗ってきたのですが、私1人に運転士と車掌という状態。
客車の運転時間帯が過ぎていたのでDCだったのですが、何だかひっそりとした感じでした。

今回の旅行では、今までの旅行と確実に違ったことがあったのです。
今回は吉備線や片上線も確かに楽しいはずなのですが、その思い出よりも船に乗った印象の方が大きかったのです。
今までは鉄道に乗ってきたときの喜びが印象に大きく残ってきたものですが、鉄道趣味を通じて他のものに巡り会える楽しさを知ったという意味で画期的な旅行だったのです。
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2008年01月25日

名古屋が続いたので今度は再び四国へ。

受験前の最後の旅行として、夏休みには久しぶりに四国に行って来ました。
下津井電鉄に乗るためです。

当時はまだ廃止が決まっておらず、乗り納めに来ている人も特になかったです。

軽便鉄道というと軌間が762mmしかない狭い鉄道。全国的にもほとんどありません。
そんな中、下津井電鉄では瀬戸大橋が出来たこともあって、その観光需要を見越して新型車両2000系メリーベル号を投入したのです。

児島駅までは以前はJRと孤立していたこともあってバスで行かないと行けなかったのですが、瀬戸大橋線が開業して児島駅はJRで行ける様になり便利になったのです(但し、下津井電鉄の児島駅までは5分ほど歩きました。

行きはメリーベル号。中間1両を抜いた2両編成で走っておりました。
オープンデッキの車両もあり、冷房付きの屋根付き車両もあり、乗り比べながら下津井まで。

下津井駅では瀬戸大橋を間近に見てきました。迫力あるなあ…。
丸亀までのフェリーが出ていたので、「来年の春、下津井電鉄乗ってここに来て、フェリーで四国に渡ろう」と思いました。

帰りはフジカラーの車体の列車に乗りました。クレヨン列車(誰でも自由に落書きしてOKの車両)にも何か書いてきたっけ。

下津井電鉄は、この旅行から4ヵ月後に廃止されてしまいました…。

また、18きっぷでしたので行きには和田岬にも行って来ました。
営業運転中の旧客の車内でヘッドホンステレオで「浪漫飛行」を聞いたのも、今ではいい思い出です。
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2008年01月18日

高3でも旅行に

高3にもなると受験勉強のために旅行に行けなくなってきます。
それでも春休み、夏休みと1日ずつですが18きっぷで遠出しました。
春休みは近くの乗りつぶしをかねて名古屋に行って来ました。

まずは新大阪から早朝の阪和線直通列車。「はるか」などが通る梅田貨物線経由、楽しいものです。
和歌山線や草津線を乗りつぶしてから、名古屋方面へ。
当時、JR尾張一宮と名鉄新一宮は改札内でつながっていて、新一宮で好きな列車が来るまで待っておりました。
2扉のちょっと豪華な感じのするSR車(5300系だったと思います)が来たので乗りました。

名鉄の旧性能車(いわゆる「釣り掛け式」の電車)に乗りたく、新岐阜(現・名鉄岐阜)で各務原方面の列車を待っていると7300系AL車が来たので乗車。
私鉄の旧性能車、久しぶりに乗った〜という感じでした(JRでは本山支線や鶴見線で乗っている)。
車体は新しいんですけどね。
ちなみに受験を控えていたこともあって、車内では英語の参考書を読んで地元の高校生のふりをしておりました。

可児からJRに乗換え、家に戻ったのは22時ごろでした。
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2008年01月11日

鉄道模型(高校生の頃)

グリーンマックスのキットで車両を必死に作っていたお話です。前置きが長くなりますが、その背景から。

何故か学校の図書館に1970年代の鉄道ファンと鉄道ジャーナルが置いてあって、時々読んでおりました。
特に10系寝台車など旧客の急行が特集されていた号を何度も読み返しておりました。

私は旧客というと晩年時代しか知らない世代。
山陰本線などで普通列車に使用されるのが当たり前で、急行以上となると座席車は12系、寝台は20系というのがお決まりと思っていたので、旧客が優等列車に使用されていたというのだけでも驚いたものです。

特に印象的だったのは10系客車。
寝台車については私が小学校の頃までは現役で、それも大阪駅には「きたぐに」として入線していたとか。
他に「山陰」とか「はやたま」とかあったみたいです。関西では「銀河」や「だいせん」は早い段階で20系になったこともあって少数派でしたが、関東では昭和57年まで東北・上越新幹線がなかったので上野駅あたりには結構入線していていいなと思ったものです。
そうとはいえ、東海道本線という黄金路線で私が生まれてからも旧客が急行運用されていた、というのは知っていたとはいえビックリ。
往年のつばめ号で使われていたスハ44系座席車も現役として使われていたんですね(現在では、大井川鉄道に緩急車スハフ43が2両在籍している)。
当時、早朝の駅には行けなかったこともあって、10系は座席車こそ何度か見たものの結局乗れずじまいでした。

それを模型でなら再現できるとあって、グリーンマックスの10系客車キットを買い、大量に製作しました。
ちなみにKATOから10系客車の完成品が出たのはその後の話です。
そして、20系になる直前の急行「銀河」の再現を意識しました。

車両を自作するのは始めて。スプレーで色塗り、窓貼りなどいろいろやったものです。
出来はへたくそかもしれませんが、お陰で大量の10系客車が出来ました。
小学生の頃、チョロQを改造したりガンダムのプラモデルを作っていたのを思い出しました。

確かに長大編成を作って楽しかったのですが、線路をつなげる労力が結構かかったりするので運転させる機会はあまりありませんでした。
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2007年11月16日

鉄道写真もはじめました

鉄道写真を始めるようになったのは中2のとき。
友達の影響もあって買った「鉄道ダイヤ情報」でコンパクトカメラの特集が挙がっていて、このくらいの値段なら自分でもできるなと思い、コンパクトカメラを購入。
オリンパスの広角・望遠の2焦点タイプのものでした。

当初は近場の阪急などの私鉄を撮ることが多く、先に書いた能勢電や近鉄もこのカメラで撮っておりました。
後には青春18きっぷを使った旅行によく持って行くようになりました。
他にも駅撮りやイベントなどでよく撮影しておりましたが、時には撮影地にいってコンパクトカメラで撮影することもありました。

「写真はカメラの性能よりも場所と構図で決まる要素が大きい」というのが当時の私の持論ですが「それならコンパクトカメラでも十分」と思っております。
この考え自体は今も大きく変わっておりませんし、デジカメ時代の現在になっても旅行の内容によってはコンパクトデジカメを併用しております(一眼レフは重くて宿泊を伴う旅行に向かないときもある)。

ちなみに当時買ったカメラは大学生になってからも使っていて、一眼レフカメラを買うまで10年近く使いました。
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2007年11月09日

何度も乗った近鉄電車

1988年に登場したアーバンライナーにも二次車が登場することになり、鉄道友の会の行事で再び試乗会に行ってまいりました。
初代とは中間の簡易運転台の廃止などマイナーチェンジという感じですが、こうした車両に特急料金を払うことなく満喫できますので貴重な経験です。
さらにアーバンライナーが平成元年のブルーリボン賞に選ばれ、その記念列車にも乗車することができました。参加費1000円で名張まで1往復、バブル景気の頃とありまして弁当まで出ました。帰りは五位堂で撮影会。この時ばかりは鉄道友の会に入ってよかったなと実感いたしました。

乗りつぶしとなりますと、1990年の冬には近鉄電車が3日間乗り放題の「遊レールパス」が出て(その後発売時期が長くなりましたが、当時は学校の休み期間前後しか出ていなかったと思います)、近鉄電車を3日間堪能することになりました。とはいえ高校生でしたから3日間とも日帰りです。
初日は急行に乗り継いで名古屋に行き、養老線、鈴鹿線などに乗ってきました。2日目は青山越えはせずに奈良・京都・吉野方面を楽しみ、3日目は賢島まで行ってきました。時期も時期ですので伊勢神宮にも行って来ました。
「近鉄の完乗は3日では苦しいな」と思ってはいましたが、それでも伊賀線など残った路線はかなり減りました。
ボックス型の急行に長距離乗るのはやはり楽しかったです。
養老線も昔の名古屋線の急行型車両で、床下から旧型車両の音が聞こえておりました。懐かしい思い出です。
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2007年11月02日

やっぱり好きだった阪急電車5(高校生の頃2)

阪急100系(P-6)と900形の見学会。私が生まれた年に廃車された100系は名車中の名車とあって、どうしても一度乗ってみたかった車両。保存車両の見学という形ですが実現しました。

古いものばかり追い求めているかと言うとそうでもなく、新しく登場した8000系・8300系も追っていたように思います。
鉄道友の会主催の8000系の試乗会にも参加し、一般の方よりも一足先にVVVF車両の走りを体験してきました。試乗会とあって営業運転前の車両に乗れるだけでなく、電車の中から洗車している様子も見られました。平井車庫での撮影タイムもありました。
8000系でも第3編成以降はクロスシート車であり、神宝線に久しぶりにクロスシート車が入るとあって、好んで乗りに行ったものです。

また、通学で使っていた千里線では、中間1両を抜いた7連の7300系が入線するようになり(以前にも2+2+2の6連など入線したことはあった)、その後京都線の10分ヘッド化に伴い千里線も8連化されて定期的に7300系、8300系が乗り入れるようになりました。かなり通学楽しくなったものです。相互乗り入れの地下鉄60系も一部は冷房改造され、後に66系が登場するなど華やかになりましたし…。けど「8300系にもクロスシート車両を」と期待しておりましたが結局は実現しませんでした。
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2007年10月26日

やっぱり好きだった阪急電車4(高校生の頃1)

阪急電車は何だかんだいっても好きでした。
いわゆる「釣り掛け車両」(旧性能電車で、要は「ゴロゴロ〜」とうなる様に走る電車)を意識するようになりました。
「やっぱり好きだった阪急電車3(中学生の頃)」で能勢電の話が出てきましたが、阪急電車にはすでに釣り掛け車両はなく(1985年3月に全廃)、能勢電や広電に移籍した車両が残っているに過ぎません。高1の夏休みに登場した阪急電車のスタンプラリーに伴うフリーきっぷで朝ラッシュ時の能勢電に出かけてきました。
釣りかけといっても、やはり急行電車に乗りたいもの。日生中央から610系5両の川西能勢口行き日生急行に乗りました。畦野から川西能勢口までノンストップと言うのも初めての体験。ただ、能勢電鉄はあまり速度が出ないので少し物足らなかったように思います。

他にも1010系・1100系のさよなら運転にも乗ってきました。片開き車両が消えるのはすごく悲しかったです。
往復はがき10枚応募し、そのうち1枚が当選。梅田から宝塚まで1010系・1100系に乗ったのですが、本線の通過運転は最初で最後の経験になりました。
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2007年10月19日

友達と九州・名古屋旅行(2)

長門本山を往復した後は宇部新川・小郡(現在の新山口)経由で広島に戻り「ムーンライト山陽」に乗ったのですが、疲れていたのか帰りはぐっすり寝ていました。まだ時間的に18きっぷが使えるので、大阪環状線に残っている101系で桜島へ向かい(当時はほぼ103系になっていたが、桜島発着の直通など限定して残っていた)、その後は湊町から関西本線を一路名古屋へ。まずは221系快速で奈良へ。ぐっすりここでも寝ていたみたい。221系のシートのすわり心地が良かったのだろうか。奈良と亀山で乗り換えて名古屋入り。春に見て「綺麗で羨ましい」と思った213系を堪能。名古屋ではまたきしめんを食べ、今度は多治見へ向かいキハ11で美濃太田へでて、岐阜・大府と乗り継いで武豊へ。

武豊からは名鉄の知多武豊まで歩き、6000系ロングシート車で神宮前へ。もう少し違う車両が来て欲しかった…。そして7000系パノラマカーで金山へ。ここでもしばし撮影。覚えているのは、800系+3300系のAL車(名鉄の旧型車両にはAL車とHL車の2種類がある)。800系というと非冷房の旧型車両で歴史ある車両なのに3400系「いもむし」と比べるとあまり注目されないまま消えていった可哀想な車両。でも、後年どうしても乗りたくて可児まで足を運んだものでした。そして新名古屋(現在の名鉄名古屋)に行き、刻一刻と変わる乗車目標を迷いもなくお客さんが立っている、名古屋以外の人が見るとびっくりするような光景がそこにはありました。

名古屋からの帰りは311系新快速で大垣へ。今では当たり前になってきましたが当時は特急以外で時速120kmを出す列車はなかったので、これまた新鮮でした。
けど、大阪に戻ってきたら「次に夜行列車に乗るのはいつになるだろうか…」と思ったものです。結局、次に夜行列車に乗ったのは3年後で、現在でも「一番夜行列車に乗っていない間隔が長い」のはこの間になります。
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2007年10月12日

友達と九州・名古屋旅行(1)

高2の夏。受験を2年後に控えているとあっておそらく高校最後の大旅行になるだろうと…。
臨時夜行快速「ムーンライト山陽」が登場し、18きっぷ2回+αで九州に行けるというもの。一人での旅行は認められていなかったのですが、友達とならOKということで許してくれました。

大回りで京都に出て、京都で待つこと2時間以上、「ムーンライト山陽」に乗り込みます。12系ボックスを友達と2人で占領し、ボックス片側ずつを確保して一夜を明かしました。途中減光も懐かしいです。大阪からは通勤客も少し乗ってましたがそれでも空いていました。慣れない夜行で結局岡山近くまで起きていたように思います。

広島では駅前で市電を少し眺め、その後は115系のアコモ改造車(要は、車内や塗装がリニューアルされて綺麗になった車両)で下関に。九州ではこの後に平成筑豊鉄道となる伊田線と糸田線、それと廃線が決まっている山田線に乗ってきました。山田線は廃止前とあって昼1本の列車はお別れ乗車に来ている人でいっぱいでした。

さらに本州に戻り、ブルーハーツを聞きながら山陽本線を戻り、今度は小野田線へ。雀田からは本山支線。クモハ42形の旧型国電に乗車。さすがに支線なのでノロノロ運転でしたが、車内はクロスシートとあって往年の旧型国電という感じでした。私が小学生の頃には似たような車両が飯田線を走っていたのか…と思ったものです。そうした列車に乗れた人が羨ましかったんでしょうね。
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2007年10月05日

日帰りSL&名古屋

1989年、小浜線にSL「あじわいふれあい越前若狭号」が走るとあって、SL列車に乗りに行きました。SLにはその後も5、6回乗りに行っておりますが、やはり初めて乗ったときの感動は覚えています。何しろ「煙を出しながら走る」「トンネルでは窓を閉めなければいけない」「あんな形をした機関車に引っ張られる」と今までの常識が全てひっくり返るような感じでしたから…。とはいえ私の親の世代の方でしたら「それは当たり前」と怒られてしまうでしょうけどね。

早朝に家を出て、湖西線経由で敦賀へ。途中、近江今津からキハ48の2連に乗るが、乗り換える人はわずかなのにびっくり。湖西線という高規格線路をのんびりと走る姿にはちとガッカリ。

敦賀ではすでにC56が待機していて、カメラを持った鉄道ファンがたくさんいて子供からも注目の的となっていました。私も撮影後に12系客車に乗り込みました。
SLは小浜まで途中通過運転ながら1時間20分ほど掛けてのんびりと走っていました(SL運転当時のダイヤを考えるともう少し速く走っていたのではないでしょうか)。
小浜では給水タンクからの水で給水し、ターンテーブルで1回転。

帰りはSLではなく、名古屋へ行くことも考えて小浜線の普通列車で敦賀へ出て、敦賀から419系で米原へ。583系寝台電車の改造で椅子がゆったりしていることから今でも大好きな車両。この頃、10年後に419系にはよくお世話になると到底思っていませんでした。
米原、大垣と乗り継いで名古屋へ。そして名古屋での楽しみは「きしめん」。大阪のうどんとは違った平べったいうどん。この頃から異文化に接するのも楽しんでいたように思います。

名古屋駅で様々な電車の撮影をしました。213系、211系、キハ85系…、どれをとっても関西にはない車両。新鮮そのものです。そして大垣に戻ってから美濃赤坂へ。211系にあたったのは嬉しかったけどロングシートだったのでがっくり。帰りは米原から221系新快速に乗れるかな、と期待したのですが117系でまたがっくり。けど、1日でSLにも乗れたし名古屋も味わったし、そう思えば楽しい旅行だったなと思います。
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2007年09月28日

18きっぷで初四国

1988年というと青函トンネルと瀬戸大橋が開業した年。
青函トンネルは大阪からははるかに遠く、お金もなく日帰り旅行しかできない高校生の私には到底夢の世界でした。
一方の瀬戸大橋については大阪からでも十分日帰りできるので、これなら行けると思い、四国へ行くことにしたのです。

大阪からは快速で姫路へ出て、赤穂線経由で岡山へ。岡山で「アイランドエクスプレス四国」に会ったので撮影。そしてマリンライナーに乗り込む。固めのバケットタイプのシートでした。茶屋町から115系不通に乗り換えて出てから宇野へ。「どっきん四国」のポスターが薄れていた、寂しげな宇野駅と言う感じ。
宇野からは瀬戸大橋開業後も高速船が運行されている宇高航路(1990年休止、1991年廃止)で高松へ。雨が降っていたこともありますがここから瀬戸大橋はほとんど見えなかったです。今度は121系普通で坂出に出て、167系の臨時で茶屋町へ。121系は登場1年なので綺麗で、こんな車両が関西にもあったらいいのになと思ったものでした。

茶屋町からは旧型国電クモハ84で宇野まで往復。快速だったので釣り掛けサウンド(床下からゴロゴロゴロ〜と響くモーター音がする)が唸りまくっていました。帰りはクモハ84の重連。クモハ84は荷物車改造なので中間に2つ扉があるロングシートという変わった車内なのも個人的には好きでした。これが瀬戸大橋線も走るので、こんどはぜひ「最新設備の高規格路線」に「旧態そのものの旧型国電」というアンバランスな組み合わせを味わいたいと思い、茶屋町を後にして岡山へ。帰りは山陽本線経由で新大阪まで戻ってきました。
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2007年09月21日

サロンカーなにわで湖西線に乗車

高校生の頃はお金が限られているので、特別なことがない限りは18きっぷなどの格安きっぷでないと旅行に行けませんでした。
そんな中、比較的自由が利いたのは親の実家のある舞鶴へ行くときでした。
ノーマルに舞鶴まで行く場合の交通費の範囲でまかなえるきっぷでしたら、私は出費ゼロでよいのです。多少プラスアルファして遠方に行ってもよいですから…。

1988年夏は「サマーイン加賀」というサロンカーなにわを使った臨時快速が走っていて、グリーン料金は必要だけど快速なので安いですから、値段的にはころあいでした。面白列車(ジョイフルトレイン)の類は今まで何度も見てきましたが、乗るのは初めて。
3列シートで、6人向かい合わせになれるシート配置は独特そのものです。また、窓側に向けることもできます。
1号車の展望席から流れる景色は窓1枚で外側なのがよかったです(車掌室にいるような感じ、と書けば分かると思います)。

それと湖西線に乗るのは初めて。山科から先に行ったこと自体がなかったのですから。比叡山を西にして東はびわ湖、というのも新鮮でした。その後、湖西線には何度となく乗ることになるとは想像できなかったでしょう。あと、デッドセクションのところではのろのろ運転になり、大阪行き「雷鳥」が快走するのとは対照的でした。この列車、敦賀までは速いのだけど敦賀から長時間停車が多くなるのです。

私は敦賀から小浜線なので特に気にしていなかったけど、こちらも急行「わかさ」ではなく、名古屋から来る臨時急行「エメラルド」。キハ28・58形とキハ65形の4連。大型のヘッドマーク、オレンジ色のJRマーク、キハ65の2枚窓が印象的で、それまでの舞鶴への帰省とはがらりと違う印象でした。途中の各駅では車掌さんがガイドしておられました(今でも海水浴場の案内は時々聞きます)。
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2007年09月14日

宮福鉄道に乗りに行ったお話

宮福鉄道は現在は北近畿タンゴ鉄道に社名変更し、旧宮福鉄道の路線は宮福線となっています。
開業日に急行「丹後7号」で舞鶴へ行き、宿泊。次の日に一旦、福知山に出てから宮福線の普通列車に乗車。MF100形の単行。車内は0系新幹線と同様の回転クロスシートとデラックス。大江でようやく座れ、トランプを楽しめるほど大きなテーブルを出して喜んでいました。

宮津で撮影後、今度は臨時特急「エーデル丹後」。全面展望ができるのが特徴的な車両で、車両自体は1週間前に大阪駅で展示されていたときに車内に入って満喫していたのですが、開業2日目の上りの最前列の指定席をGETできたのでワクワクしていました。そして福知山から来た道を戻るのですが、今度は全面展望。今度は景色を満喫していました。JRがビデオ製作用でしょうかテレビカメラをつけていました。福知山からは北近畿に引っ張られるのですが、全面展望しながら連結シーンが見られるというのも特筆ものですね。最前列といってもD席でしたので、福知山からは側面展望しておりました。
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2007年09月07日

大回り乗車初体験

高1のゴールデンウイークに大回り旅行をしました。
やはり珍しい車両に乗りたいということもあって、「近江路ハイキング号」という臨時列車で京都へ。167系を使用したものです。
153系や165系と似た2扉ボックス車両(扉は700mmとやや狭いのが特徴)ということで、往年の153系新快速に乗っているような気分でした。多分、小2の夏に乗って以来かな。その後に登場した新快速に比べてトイレと洗面所がたくさんあるし(トイレまで歩かなくてもいい)。

京都から奈良線に。今度は113系。ここは105系が中心だけどなら・シルクロード博ということで増発されていたのです。クロスシートで楽しむと途中、スコールのような雨が降ったかな。奈良からは桜井線。こちらも113系。そして王寺に行き、大阪へ。

さらに京橋へ出てから今度は片町線。まだ快速がラッシュ時に数本しかなく長尾までしか電化されていなかったので、長尾まで103系でゆっくりと行きます。さらに長尾ではDCに乗換え。キハ35+キハ52の木津行き。キハ35はほとんど乗っておらず、トイレ前のクロスシートを陣取りました。

木津からはこちらもなら・シルクロード博の臨時新大阪行きの103系。103系かつ梅田貨物線の乗り心地といえばある意味たまらなかった(まあ悪くはないなと思った)。
今でも面白い車両に乗るのを目的で大回り旅行をすると楽しいと思うのですが、関西では当時と比べて代わった運用・車両や臨時列車というのがすっかり減ってしまったような感じですね。
posted by うえしょう at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 私の鉄ちゃん履歴書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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