2007年03月31日

福島→飯坂温泉(9.2km)

この日の宿は飯坂温泉。
仙台や山形に泊まる事も考えたけど、福島交通も乗っておこうと飯坂温泉で宿泊。
夜も21時になっていたので宿は食事抜きにしました。
blog076.jpg福島のマクドナルドでバリューセットを交換(この日期限の株主優待券が余っていた)してから、福島交通へ。
さすがに夜だったので何も見えない。とはいえ、翌朝は飯坂温泉から戻るので、暗くてもいいやと言う感じ。

ちなみに温泉はMTMM(無色透明無味無臭)で熱かった…。それもまたいいか。
福島競馬場に観戦するときにでもまた来たいな…。

翌日は景色を眺めてきました。福島に着く頃には、ある程度立っているお客さんもいるくらい乗客に恵まれているなという感じ。
もちろん、私みたいに飯坂温泉からの観光客もちらほらいましたけどね。
けど、ダイヤを平日と休日を勘違いしていて、内心ハラハラドキドキしながらだった…。
posted by うえしょう at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名取→仙台空港(7.1km)

blog075.jpg2週間前に開業したばかりの仙台空港交通。

名取の次にある杜せきのした駅は、島式ホームながら片側の線路は敷設されていないものの、イオンのダイヤモンドシティーがあってにぎやかでした。
(名取に戻るときは、明らかに買い物帰りの人が結構乗ってきました。けど、4連でしたのでそんなに混雑と言うことはなかったです)。

その次の美田園駅は交換設備があってよく利用しているみたい。快速が颯爽と通過していきましたわ…。

そして仙台空港。今回は18きっぷでの旅行で、仙台空港で降りるときはICOCAを使用。
最近J−WESTカード&スマートイコカを持つようになってからは、J−WESTのポイントを貯めるべく、今後はイコカが使えるところは極力イコカを使用しているので、精算のときに「イコカいけるかな?」って言われたけど使えてよかったというのが正直な感想。
あまりイコカを使っている人はいないみたい。
雨の中、空港を見学して「今から神戸に帰れるなあ」とか思ったりしていました。
posted by うえしょう at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仙台→富沢(6.3km)

blog074.jpg野球観戦の後、あおば通に出てから仙台市交に。すでに仙台から和泉中央もとい泉中央までは乗っているので、あとは富沢まで乗れば完乗。
前回地下鉄に乗ったのは11年前だ。
あ、スキップカード持ってくるの忘れた…。むりもないか。

富沢ではとりあえず駅前に下りて、すぐ地下鉄に乗り込む。というのも、この後の仙台空港に行く行程を考えると、あまり時間が取れないし…。
けど、泉中央に行ったときもすぐ折り返したっけ。

帰りは長町でJRに乗り換え。駅前が工事だったので結構迂回させられた…。
posted by うえしょう at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月29日

国鉄電車の楽しみ(小学校の頃Pert2)

小6のときに、東京のいとこが九州に引っ越したので、私の強い希望もあって(笑)九州にいくことになりました。
九州へはひかり号。最速タイプの指定席が取れなかったので、4駅しか通過しない列車でした。

当時もまだ0系のオンパレードでしたが、座席はさすがに簡易リクライニングシート。
転換クロスのときもそうでしたが、新幹線はテーブルが大きいという印象が強かったです。大きいテーブルでトランプをしていました。
しかし、グリーン車のテーブルはもっと大きくて羨ましかったのも覚えています。
他にも車内の冷水機が印象的。今ではほとんど見かけなくなりましたね。
ビュッフェで食事したのを覚えています。ビュッフェの座席がないタイプでした。

kumagawa.jpg博多から二日市までは、たまたまいた快速「くまがわ」。
冷房機が壊れていて窓全開で走っていたのを覚えています。
快速というと南福岡も停車ですが、「くまがわ」だけは別格で二日市まで無停車で快適(?)でした
それと、笹原・都府楼南などの駅もまだありませんでした。

帰りはもう少し通過駅が多い列車。
6年前に味わえなかった食堂車の味を満喫したのも思い出です。

他に「熊本城と水前寺公園に行こう」ということで、熊本まで旅行しました。
行きは有明3号ですが、帰りは14系座席車の臨時「有明」でした。
昼間の客車特急に乗れるなんて、今となっては超貴重な思い出です。
お互い背が向いたばったんこシートの間に入って遊んでいました。
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2007年03月22日

国鉄電車の楽しみ(小学校の頃Pert1)

小学校の頃は、舞鶴への帰省をあれこれ楽しんだ時期

舞鶴へ行くのにも、時間帯を替えて京都を10時台に出る「丹後1号」に乗ったこともありました。
その際はラッシュ時を少し過ぎたあたりに運転されている外側線快速を選んで乗ったこともありました。

また、「丹後5号」よりも2時間後に出る「丹後7号」にもよく乗りました。
「丹後7号」は6両編成で全車東舞鶴行きでしたので、繁忙期でも指定席が取れました。
また、自由席に座るとしてもそれほど並ばなくてもよかったように思います。
ただし、綾部で20分くらい停車するので、京都から東舞鶴まで2時間半かかりました。

とはいえ、基本的に自分のお金で列車に乗るわけではありませんから、裁量は親任せでした。
また、出費がかさむとの理由で特急に乗ることはありませんでしたし、逆に普通列車で行くこともほとんどありませんでした。
ただし、一度だけ普通列車で戻ってきたことがあります。当時は旧型客車でしたので「もっと乗っておきたかったな」と思います。
確か乗った車両はオハ47だったと思います。
(その他、嵐山に行ったときに京都まで旧型客車に乗りました)

ですので、自分が決められるというと、急行列車の選別くらい。
当時の綾部までの特急停車駅は二条だけで、亀岡・園部はすべて通過でした。
しばらくすると亀岡は停車になりましたが、園部は通過のままでした。

急行は大半が二条・亀岡・園部に停車していました(一部、そのほかの駅にも停車した)が、唯一、急行「白兎」だけは園部通過でした。
それを体験したいがために、綾部乗換えで急行「白兎」に乗ったこともあります(立席だったけど…)
そのほか、舞鶴からの帰りに急行「わかさ」に乗ったこともありました。

他にも一度だけ「丹波1号」に乗り、福知山線経由で舞鶴に行ったこともありました。
いつもと違う景色・感覚で乗車時間も3時間以上だったのもある意味新鮮でした。

しかし、駅に列車を見に行くことはあっても、舞鶴に行く以外に国鉄を利用することは少なかったです。
ブルートレインブームが沸く中、「丹後9号」が綾部駅を出るとき、行き先案内板に「出雲 東京行」と出ているのを見て喜んでいたのが懐かしいです。
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2007年03月15日

その他の関西の私鉄(小学校の頃)

・阪神
遠足で神戸に行くときは阪急豊津駅を利用する関係もあって阪急が多かったです。
阪神に乗るといえば、ポートピア博覧会の帰り(えびスナックを食べているのをなぜか覚えている)と、甲子園球場に野球を見に行ったとき(行きは準急、帰りは臨特だった)くらいでした。

・京阪
京阪は男山(岩清水八幡宮)に行ったときに乗りました。一度、地上時代の三条京阪から特急に乗って淀屋橋まで言ったのを覚えています。相撲が好きでしたので、テレビカーを選んで(1本待って座った)、相撲を見ながら帰ってきました。
京阪は1000系、5000系、3000系などの思い出がありますが、当時は古株だった1300系・1700系にはなぜか興味がなかったように思います。今思えばもったいない話かも。

・近鉄
小3の春休みに近鉄特急で名古屋に行きました。
行きは12600系サニーカー、帰りは30000系ビスタカーでした。やはり、当時は2階建て車両というと近鉄以外にはありませんでしたので新鮮でした。
鶴橋から名古屋までノンストップというのも、新鮮でした。
他には奈良と生駒に何度か行きましたので奈良線にも乗ったのですが、あまり覚えていません。
覚えているのは、京都市交乗り入れ用に作られた3000系ステンレス車が新鮮に感じたことくらいでしょうか。

・南海
河内長野の関西サイクルスポーツセンターに行ったときに高野線に、水間に飯合炊さんしたときに本線に乗りました。
高野線は、20000系特急こうや号がのんびりと走っていたのを覚えています。
南海線は1000系(2扉の特急用のもので、現在の1000系とは別)とか、車庫を見ると国鉄乗り入れ用のキハ5501形きのくにが止まっているのを見ました。
DCが本線を快走していたなんて、今では考えられないですね。
けど、一般車はロングシートばかりであまり関心がなかったように思います。
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2007年03月08日

好きだった阪急電車(小学校の頃)

小学校の頃は阪急電車が好きでした。
遠足やハイキングで阪急電車を利用することが多く、須磨浦公園、嵐山、宝塚、仁川、京都、西宮などによく行ったものです。

当時は「速い列車が好き」。そんな訳で特急が大好きでした。
特に京都線は当時、唯一クロスシート車が走っていた路線でしたので、6300系は大好きでした。
当時の特急は大宮を出ると十三まで止まりませんでしたので、桂付近を走っているとき「京都府を走っているのに、乗っているのは大阪に住んでいる人ばっかりなのかな」なんて不思議なことを考えていました。
何せ、普段よく利用していた地下鉄には、クロスシートも通過列車もありませんでしたから。

神戸線でも6000系や7000系がくると喜んでいたように思いますが、6300系ほどの感激はなかったように思います。
そのほかの車両でも方向版車両の種別ガラスに「特急」の文字が赤く光っているのにはなぜか覚えています。
一方、仁川に行ったときには1200系にも乗ったのですが、単に窓が大きい車両というだけで、当時は旧性能車(釣掛車)であることを知らなかったように思います。

また、同じマンションに住んでいた友達の家に西宮へ行ったとき、西宮車庫に920系が止まっていたのが印象的です。
当時の阪急電車に3桁の車番のものがけっこういて、610系、710系、800系、810系、920系とたくさんあったように思いました。
しかし、これらの車両が走っているのは今津線・伊丹線・甲陽線といった支線にしか入っておらず、本線の利用がめっぽう多かった私は利用することがありませんでした。それに、親に「920系乗りたい」ってなわがままも言えないですしね。
「小学校卒業したら乗りたい」と思っていたのですが、残念ながら小学校卒業の半月前に810系のさよなら運転が行われてしまったので、実現することはありませんでした。中学校に入ってから、能勢電として610系、510系、320系に乗ったときはある意味感激したものです。
nose610.jpg

あとは、箕面線の臨時準急とか、嵐山急行とかの臨時列車にも喜んでいたように思います。
相当変わった子だったのかもしれません。
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2007年03月03日

八栗登山口→八栗山上(0.7km)

blog073.jpg四国ケーブルが経営する八栗ケーブル線。
琴電で八栗で下車してからからは、いよいよ五剣山を目指す。
八栗ケーブル(四国ケーブル)の乗り場は、駅から歩いて20分ほどあるのだけど、この日はDCサンポートに乗るためにはが詰まっていて、歩いて行ったら帰りに琴平に行く時間がなくなる。それで「タクシー乗りたいな」と思っていたら空車の個人タクシーを発見。
私にとっては珍しいことなんだけど、八栗登山口までタクシーで。
行程的にも、上りの徒歩20分を回避というのも考えるといい選択だったかな。

ケーブルは1964年製の車両が交互に行きかう。戦前にあったものは一旦撤去されているので、20年ほどしてからの復活なんですね。
片道4分の旅。ほとんど直線で沿線もケーブル向けに整備されている(枕木の本数が書いてある)という感じ。
山頂にはそして四国霊場第85番札所の八栗寺。せっかくケーブルで登ったのだから、最低でも八栗寺は行かないともったいないのでお参りに。
ケーブルの途中からも、山頂からでも「五剣山」がしっかりと見えます。これはさすが「剣山」だわ。
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瓦町→琴電屋島(5.1km)

blog072.jpg琴電屋島から琴電志度までは以前に乗っているので、琴電屋島間で乗った時点で完乗。
前回乗ったときは、JRで屋島まで行き、今はなき屋島ケーブルに乗ってから「琴電も久しぶりに乗りたい」と、琴電で志度に行ったんですね。
やってきたのは元名古屋市交の車両。名古屋市交時代にも乗ったことがある系列だけど、完全に忘れているわ。
途中一度だけ、旧京急の旧型車両とすれ違った。久しぶりに釣り掛けサウンド聞いたなあ。
ちなみにケーブルでは行けなくなった屋島へは、土曜・休日に屋島山上まで100円バスが走るようになったみたい。

沿線ではあちこちで「Iruca」というSuicaの琴電版がイルカのキャラクターで宣伝されている。
「Irucaで買い物」というのも結構宣伝していて、Iruca対応の自販機があったりした。
それも確かに知り合いで持っている人いるけど、今のところ香川県でしか使えない…。
posted by うえしょう at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瓦町→長尾(14.6km)

blog071.jpg琴電は結構乗っていてそうで実は乗っていない私鉄。
瓦町に来たのも、かれこれ15年ぶりくらい。以前は長尾線は瓦町発着だったけど、今は高松築港発着に(代わりに志度線が瓦町発着になっている)。
思ったよりお客さんが多く、中都市の郊外電車といった感じ。
やってきたのは元京急700系の車両。ラッシュ時には4扉なので活躍しているみたい。
かわらまちとか、花園とか京都みたいな地名を経て30分ほどで長尾へ。
松山(伊予鉄道)、高知(土佐電気軌道)もそうだけど、四国の県庁所在地というと、JRが2方向・私鉄が3方向(伊予鉄道の場合、鉄道線を指す)というのが基本っぽい。それなら金沢は人口もっと多いのだからもう一本私鉄欲しいよ〜。
とはいえ、高田を過ぎると結構田園地帯が広がっていく。まあ、分かるような気がするけど。
長尾に着くと、今回は後の行程の時間がなかったので、すぐに折り返し。
あと、運転士が見習いのようで新鮮でした。
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2007年03月01日

谷町線の思い出(小学校の頃)

小学校のころにも南森町に行く用事はありましたので、谷町線にはよく乗りました。
路線も北は守口(後に大日)、南は八尾南まで延長されました。

路線延長に伴い、谷町線は編成を増やす必要がありました。
当時は四つ橋線や中央線に30系を投入(多くは御堂筋線からの転入車で、不足分は新造)、それで余った車両を谷町線に持ってくるということが行われていました。
四つ橋線から200系、中央線から800系・900系を電装解除して中間車改造した編成が増えてきました。
200系は+5500して5700番台、800系・900系は+5000して5800番台・5900番代になりました。
これらの車両に遭遇したときには、当然好んで中間運転台のところに乗ったものです。
特に5800形・5900形は元々単行の車両を中間車にしているので、中間運転台のところが多かったです。
一方、5700形はシル・ヘッダ付だったので特徴がありました。
ただし、四つ橋線の100系のみは千日前線に転属し、当時千日前線を走っていた50系の中間に電装解除した5700形を入れて谷町線に転属させていたように思います。

もっとも、四ツ橋にあった電気科学館のプラネタリウムを見に行ったときに電装解除前の200系に乗ったことがありますし、弁天町にある交通科学館(現・交通科学博物館)に行ったときに800系に当たったのもなぜか覚えています。

八尾南まで延長されたときは「八尾南に行ってみたい」と、いちど八尾南まで行ったのを覚えています。
地下鉄の車庫と八尾空港以外には工場ばかりで何もない、寂しい町という印象でした。
そんなこともあり、八尾南というと何もない町という印象をしばらく持っていたのですが、中学校のときに再度訪れたときには、八尾空港の反対側にはマンションが立ち並び、利用者も目立ってきた、ごく普通の駅になっていました。
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の鉄ちゃん履歴書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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