2007年02月22日

御堂筋線の思い出(小学校の頃)

小学校に入ると、遠足で地下鉄や阪急に乗ることが増えました。
遠足で天王寺動物園に行ったとき、10系に当たったのを覚えています。

やがて私の兄が千里中央まで水泳に通うことになり、何度か私も付いて行ったものです。
北急は地下鉄御堂筋線と直通運転しているので、車両的には地下鉄と変わりありません。

御堂筋線は、やはり30系の天下。
ドアの窓が高い位置にあるため、背が低かった私は外をまったく眺めることが出来ないので嫌いでした。
現在は谷町線でしか走っていない30系ステンレス車が、当時は御堂筋線にも4編成残っていました。
嫌いな30系の中でも、3006Fと3007Fのステンレス車は両端が元北急7000系で、ドアの窓の位置が低かったので好きでした。

また、この頃から10系が量産されるようになりました。10系は窓の位置が低いので好きでした。
この頃は御堂筋線は路線の延長も増結もされていませんでしたので、10系が投入されると別の車両との別れが伴ったのです。
10系の代替として、まずはステンレス車を中心に30系が四つ橋線に転属になっていきました。
いつのまにか好きだった3006Fと3007Fがいなくなってしまいました。
さらに10系が量産されると、一部のアルミ車も四つ橋線や中央線に転属になって行きました。

また、当時の30系(堺筋線の60系も同様)は、シートが革張りの固いものだったのも特徴です。
これらの車両が作られた頃は、経費節減が叫ばれていた時代だったため、椅子にウレタンを使用しなかったのです。また、窓が小さいのもこの影響です。
しかし、あまりにも不評だったのか、小学校の途中あたり(昭和50年代中期)からウレタン製の座席に改造され、同時に床下暖房も付けられました(3008Fは座席のみ改造)。

また、北急2000系は好きな車両でしたが、中でも2006Fのみ4両編成で作られたので、中間に運転台がはさまれていました。
2006Fに遭遇したときは喜んで運転台のところに乗ったものです。
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2007年02月15日

東海道新幹線の思い出

幼稚園の頃、やはり大きな思い出というと、新幹線で東京にいるいとこの家に遊びに行ったことだと思います。
昭和53年の春、キャンディーズが後楽園球場で解散コンサートをする直前でした。
新幹線にはそれまで2度ほど往復したことがあるらしいのですが、記憶にあるのはこのときが初めてです。

行きはこだま号。
10時台に新大阪を出て、4時間かけて東京まで行きました。
当時は0系のオンパレードで、車内も全車転換クロスでした。
乗ったのは14号車ですが、隣の13号車にビュッフェがあったのを覚えています(当時、一部の編成は13号車にもビュッフェが連結されていた)。
こだまに乗った理由としては、確か「こだまの方が安い」と親が言っていたのを覚えています。
事実、この年の10月改正まではひかり号は超特急の扱いで、こだま号よりも料金が高かったのです。

大きくなってから新幹線に乗る機会は増えましたが、この後16年間「元祖・転換クロス」に乗ることはありませんでした。

東京では中央線や小田急線に乗りました。中央線は201系登場前ですので103系だったように思います。
小田急線にしても、地下鉄千代田線との乗り入れ開始直前でした。
当時、3100系NSE車を見て「あれ乗りたい〜」と思ったものです。

帰りは「奮発して」ひかり号。
「食堂車で食事したい」と子供ながらに言っていたのを覚えています。
当時の食堂車は半分窓がないタイプ。けど、食堂車が混雑していて結局食べられなかったのです。
あと、行きも帰りも富士山がはっきり見えなかったのも残念がっていたのも覚えています。

次に新幹線に乗るのは6年後、東海道新幹線に乗るのは9年後になるとは思っていませんでした。
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2007年02月12日

伊万里→佐世保(80.8km)

blog070.jpg松浦鉄道は12年ぶりですが、前回乗ったのは伊万里から有田まで(それも夜)でしたので、残りはまだ乗っていませんでした。
今回は有田から入り、伊万里で乗り換えて松浦・たびら平戸口・佐々などを通って佐世保まで。九州の未上路線の大半が長崎に偏っている(もう一つの大きな未上路線は島原鉄道)ので、少しでも乗っておきたかったというのが実情かな。
長崎は本当は夏に行きたいのですが、なかなかうまいタイミングでいけなかったので今回行くことに。

きっぷは有田駅で買ったMRフリーきっぷ。土曜・休日だと1700円ですむのでお得。
列車はクロスシート車。伊万里−有田間の列車はオールロングだったのでこっちは快適。海が見えることもあって右側を陣取る。
前のボックスも乗りつぶしできているのかなという感じの人。

前半は海岸線を行く昔ながらの列車の雰囲気、後半は佐世保市への買い物客の輸送という感じで、列車本数が倍になる佐々から佐世保まではさすがに賑わっておりました。

途中、列車行き違いのときにはホームへ出て写真撮ったりしていました。
松浦で5分ほど止まっているときもホームに出て写真撮ったのですが、その時に前に座っていた人の行程表がチラッと見えたので見てみると、南阿蘇鉄道、平成筑豊鉄道などにも乗って新幹線で富士まで戻るみたいなことが表にまとめられていました。佐世保まで行ったらすぐ「みどり」で博多に向かうみたい。

たびら平戸口は、「日本最西端の駅」としてアナウンスされていました現在は那覇空港駅の方が最西端なのですけどね(同様に日本最南端の駅だった西大山は「本土最南端の駅」に改められている)。
駅長が親切な人で、列車発車のパフォーマンスもさながら、たびら平戸口から乗車した観光客に自身の書いた絵をプレゼントしていました。
今回は時間がなかったので平戸観光はパスしましたが、平戸も見られるかなと思いきや、平戸大橋が一瞬見えた程度だったなあ。
さすが九十九島。岩陰が多いですね。

佐々から先は結構人が乗ってきて、私のボックスも2人座っています。駅間が短くなり、私鉄らしくなってきました。
佐世保中から佐世保中央の200mはあっという間。北浜から淀屋橋に向かう京阪電車のような自動アナウンスだった。
佐世保中央は松浦鉄道になってから駅が出来たのですが、アーケードの中心に作ったので下車した人が非常に多かったです。まあ、これが松浦鉄道に大きく貢献しているのですけどね。

佐世保に到着。これで私鉄完乗率も一気に89%台に突入です。佐世保では改札を出て、佐世保バーガーを満喫してきました。
ちなみに島原鉄道は先端の部分廃止の話があるので、トロッコの時期に合わせていく予定にしています。
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2007年02月11日

東横イン佐賀駅前

yado001.jpg九州旅行で使用。
例によって3連休の真ん中だったんで、迷わず「日曜祝日キャンペーン」が適用になる東横インを選択。
4095円で朝食付きだもんね〜。

翌日に有田鉄道に乗るとあって、どこが便利かを考えたところ佐賀駅前に。
別府のラクテンチから平成筑豊鉄道に乗ると考えると、福岡か佐賀での宿泊が便利かな。
今回は普通乗車券での移動ですので、運賃的に安くなることを考えて佐賀にしました。
佐賀といっても福岡の隣ですし、筑豊本線で原田に抜けてしまえば普通でも1時間かかりませんからねえ。

駅前とあってホームが見える部屋を希望したら、デラックスシングルを案内していただきました。
すでにほかのお客様がチェックインしていたためシングルの空き部屋がなかったんですね。
日宿キャンペーンはシングルに適用されるのが普通なのですが、東横イン佐賀駅前ではシングルのみでなく、デラックスシングルでも適用になるのです。これははじめて知りました。無理なお願いを快諾してくださったスタッフに感謝。感謝。

東横インというとオートロックでないところが多いという印象があるのですが、東横イン佐賀駅前はオートロックでした。
夜は部屋で直方で買ったかしわめしを食べて、少しネットして24時ごろに寝ました。
7時過ぎに起床し、かもめ1号を見届けてから1階ロビーへ。
朝食はおにぎりのサービス。例によっておにぎり3つを食べました。
列車時間を考えて朝7時45分にチェックアウト。
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金田→直方(9.8km)

先ほどの糸田線と伊田線は特定地方交通線の第3セクター化される前に乗っていますので、「私鉄」としての初乗りになります。
前回乗ったのは1989年。高校の友達とムーンライト山陽を使って乗りに来たのを思い出しました。ですから18年ぶりです。

blog069.jpg路線の雰囲気はなんとなく覚えていて、炭鉱線らしく複線で幅員が広めだなという感じでした。
その複線区間で、18年前は平成筑豊鉄道のピカピカの車両と途中ですれ違ったものです。

今度はその平成筑豊鉄道の車両。
今は長年使ってきたなという感じになりました。
もっとも、当時のJRの主力のキハ47もまだまだ走っているのですけど。
直方からは原田経由で佐賀に向かいました。
posted by うえしょう at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田川後藤寺→金田(6.8km)

blog063.jpg今日はフリーきっぷといえども全線乗るのはきついな…と思ったので、田川伊田からそのまま直方に行くのは面白くない、と思ったので、田川伊田から田川後藤寺までJRでワープ。そして田川後藤寺から糸田線で金田へ。
すると、様々な車両にも乗れるし、田川伊田を残しておいた方が次に乗るとき楽かなと思ったから。
ロングシート車が来ました。

次の大藪駅で若者5人組が乗ってきて夕陽をまぶしがっていました。
平成筑豊鉄道に乗ってくる若者って、結構「今風」の感じの人が多かったですね。
posted by うえしょう at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

行橋→田川伊田(26.3km)

blog064.jpg883系ソニックを行橋で降りてからは平成筑豊鉄道に乗り換え。
そして平成筑豊鉄道を全線乗ろうとフリーきっぷを購入。
やってきたのは黄色い車両。クロスシートだ。

乗った列車で行程を考えていて、今晩の宿は佐賀なので、直方からは

「久しぶりに筑豊本線原田経由で行きたいな〜、その方が安いんだけど、明日早いことを考えると、今回は平成筑豊鉄道に全線乗っている時間がないな」

と思ったのと、

「筑豊電気鉄道も一部区間が西鉄から移管されてからは乗っていないので乗りたいし、小倉のモノレールも乗らないといけないし…、そのときに平成筑豊鉄道にまた乗れそうだな」

と思ったのとを考え、

「今回は全線乗らなくてもいいや」

という結論に。
別府で1本早い「白いソニック」乗れたら間に合っていたんだけど、883系の方が久しぶりだったしな…。

車窓を眺めながら田川伊田へ。
JRから移管されてから駅が増えていて、駅間距離が短くなっています。
途中、実家にいたときの「阪急の最寄り駅と同じ名前」の駅名があったりして、写真とって来ました。
posted by うえしょう at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラクテンチ下(雲泉寺)→ラクテンチ上(乙原)(0.3km)

別府にある遊園地「ワンダーラクテンチ」のケーブル。
現在は、わが国に現存するケーブルカーの車両は最古のものです。

blog068.jpg時刻表等にはラクテンチ下、ラクテンチ上と表記されているものの、それぞれ届出上は雲泉寺、乙原となっているので併記しました。現地も見てきたのですが、特に駅名は特に書かれていなかったです。

2003年に改装しワンダーラクテンチになって車両の色が塗り変えられています。
やってきたのは「ライト号」。
30度の角度で260mの長さ。あっという間でした。
アトラクションみたいな感じ。
「前来たときはパンダの絵が描かれていた」って話していたお客さんがいたのですが、係りの人が改装のときに「ライト号」に変わった旨を説明していました。

ねだんは入場料込みで往復すると1200円ですが、のりもの券4枚付いたセットが1000円で売られて、これで往復できるのです(ネットで割引券を印刷するとさらに100円安くなる)。
ラクテンチの入場券は600円、アトラクションは300円均一で、ケーブルカーもこれに合わせて300円になっているのです。また、このセットののりもの券2枚で入場券になるのです。改装前は入場券つきで1500円ほどしたから安くなってますね。
つまり、ケーブルに乗るときにのりもの券3枚が回収されます。

大抵の人はケーブルで往復するのでしょうが、私はパノラマ温泉(残ったのりもの券1枚で入った)で寝台特急の疲れを癒して、帰りは歩いて下山しました。
posted by うえしょう at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 完乗日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月08日

国鉄電車の楽しみ(小学校入学前までPert1)

家族で梅田に行ったときに、時々ですが国鉄で新大阪まで戻って、地下鉄に乗り換えたことがありました。
国鉄は大阪から新大阪まで4分。
当時は新快速が新大阪通過でしたので、113系快速を選んで乗っていたような気がします。
もっとも103系普通にも乗れたのですが、ロングシートでしたので好きではなかったです。
グリーン車つきの編成にも遭遇し、母から「その車両はグリーン車だから乗ってはだめ」って言われたのも覚えています。
グリーン車の車内はガランとしていましたね。

国鉄電車の楽しみは、やはり舞鶴への帰省でした。
子供の頃、列車に乗るといったら、せいぜい京阪神まで。
そんな中、3時間も電車に乗って移動できる機会というと、舞鶴への帰省くらいしかありませんでした。

153kei.jpg家が江坂にありましたので、国鉄には新大阪から乗ります。
当時、新快速は新大阪通過でしたので、京都までは113系快速に乗ることが多かったです。
また、時々は「新快速に乗りたい」と言って、大阪から新快速で京都に行ったこともありました。
153系の新快速は、急行車ということもあって快適な感じでした。

舞鶴へ昼から夕方に到着する列車に乗ることが多かったです。
そんなわけで京都からは「丹後5号」に乗ることが多かったです。

帰省シーズンの「丹後5号」はかなり混雑しました。1時間前には並ばないとボックスはまず確保できなかったです。
さらに昭和50年代中半までは、冷房なしのキハ28系で夏場は暑かったのも覚えています。
今となっては冷房なしの急行なんて考えられませんね。
編成は8両ほどつないでいたのですが、基本編成が宮津線でしたので、東舞鶴から敦賀方面に行くのは2両(増結2両で4両の日もあった)だけでした。
京都1321発で、東舞鶴へは1530頃に到着していました。

当時は他の時間帯や普通列車に乗ることはありませんでした。
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の鉄ちゃん履歴書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

好きだった阪急電車(小学校入学前まで)

また、阪急豊津駅から堺筋線経由で南森町に行ったこともありました。
当時、千里線から直通する動物園前行きといえば地下鉄60系か阪急3300系。
やはり60系は窓が高い位置にあったので嫌いでした。

とはいえ、豊津駅で梅田行に乗り、淡路で動物園前行きに乗り換えのときは、様々な車両が来るので楽しみでした。
すでに物心がついたころには、唯一の2扉車・700形は引退していましたが(後年知りました)、1300系や1600系には何度か遭遇し、「片開きなので窓が大きい」と喜んでいました。ただ、当時は音までは意識していなくて、1300系と1600系(釣掛け車)の区別まではしていなかったように思います。
後に千里線にも多く入線するようになった2300系や2800系は、当時は本線でよく使われていました。他に千里線に来るのは5300系くらいだったように思います。

5300系や3300系の場合は、両開きとはいえ窓の位置が低いところまであるので好きでした。
このような背景から「好きな色は茶色」になったのも何かの所以でしょう。

なお、阪急でも梅田に行くことは出来るのですが、梅田へは地下鉄の方が便利なので、結局、中学校になるまで阪急で梅田に行くことはありませんでした。
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の鉄ちゃん履歴書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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